選手だけではないアルティメットとの関わり方 〜自分自身の強みを活かしたチームサポート〜
こんにちは、FDTライターのこみねもかです。第1弾から第3弾まで、日本代表の「チームスタッフ」としての国内での活動を紹介させてもらいました。読んでいただいた感想として、「地味な作業が多い」という印象を抱いた方が多かったのではないでしょうか。私自身も記事としてアウトプットしてみると「目立たないことをやっていたなあ」と実感しました。しかし、改めて言語化する事でどういった役割分担ができるのかを再考するきっかけにもなりました。
さて、今回の記事ではついに、みなさんお待ちかねの本大会での活動内容について紹介します。チームスタッフとしての活動はもちろんですが、私個人としての活動もありましたので、これまでの記事以上に私自身のキャラクターを前面に出してお話できればと思います!
第1弾の記事でも書かせてもらったように、私は高校時代から約7年間ドイツ語を第1外国語として学び、大学でもドイツ語を専攻していました。また、U24世界大会の前年には大学プログラムでドイツで2ヶ月生活していたこともあり、最初はチームスタッフではなく「通訳」の役割を担いたいという想いがありました。そこで今回は、私のドイツ滞在経験やドイツ語能力が実際にどのように活躍したのかご紹介します。
これまでの記事↓
代表選手に対する現地情報ミニプレゼン
私自身がドイツへの渡航経験があったことから、最後の代表合宿で開かれた渡航前説明会の場で時間をいただき、選手向けにドイツのおすすめ情報を紹介する機会を頂きました。内容はドイツでのタブーや、生活、必需品など「世界大会」というよりは「ドイツでの生活」に焦点を当てたものでした。私が主に参考にしたのは、ドイツでインターンをしていた際に書き留めた日記です。日々感じたことや、気になった生活用品、食材をメモにとっていました。それ以外にも留学している友人やドイツ人の知り合いに日本とドイツのカルチャーの違いで衝撃を受けたことを聞いてみたり、現地で知り合ったドイツのホッケーリーグに所属する日本人選手と連絡を取ってみたりと、現地の人の声を参考にさせてもらうこともありました。世界大会を終えて振り返ってみると、文化の違いや生活に関わることは、出国前に予め伝えておいてよかったなと思います。私が把握する限りでは異文化間でのコミュニケーションでトラブルに巻き込まれることもありませんでした。
空港到着時
まず最初に私が現地でドイツ語を話したのは空港でした。日本選手団がドイツへ持ち込んだ備品が入国審査の際に引っかかっってしまい、入国審査官はその備品を持っていた選手に英語で質問攻め。そこにいた他の選手が私に声をかけてきました。「もかさんの出番です!」最初は目の前で起きている状況を把握するのに精一杯でしたが、「ドイツ語でも良いですか?」と私がドイツ語を話し始めると「喜んで!さあ、この箱の中身を教えてくれ。そして君たちは何者だ?」と質問してきたのでドイツ語で答えました。最終的には箱の中身も問題無く、「世界大会、頑張ってね!良い試合になるよう応援しているよ!」と快く送り出してくれました。
大会Registration(大会での選手の受付)
世界大会に出場する際、出場者が提出しなければいけない資料が複数あります。それらの提出をRegistrationといい、今回は各ディビジョンのチームスタッフとJFDA専務理事の斉藤勇太さんで行いました。必要な資料を提出すると、参加賞やネームタグ、交通機関の定期券などを受け取ることができ、大会会場への出入りが自由になり、ケータリングの受け取りなどが可能となります。ウィメン部門の受付をしてくれた大会本部のスタッフは女性の方2名でした。私に対して話すときは拙い英語、スタッフ同士で話すときはドイツ語・・・。私からするとなんとも不思議な空間でした。「私、ドイツ語を勉強しているのでドイツ語でお願いします。」と一言伝えるとお互い晴れた表情になり受付がスムーズに進みました。
その後もその女性スタッフは私がドイツ語が話せるチームスタッフであると認識してくれ、大会本部やケータリングの受け渡しの時はいつも声をかけてくれました。
現地での買い物
ドイツ滞在中、朝食は宿泊先でのバイキング、昼食は大会会場で用意されるケータリング、夕飯は各自調達と時間帯によって食事の形式が異なりました。特に、夕飯や飲み水の買い出しの際は複数人で行動していたので、選手と一緒にスーパーへ行く事が頻繁にありました。もちろん、現地のスーパーでは、現地の通貨で現地の食材などを買います。しかし、海外渡航が初めての選手、ユーロを使うのが初めての選手、ドイツ語を見るのも聞くのも初めての選手がほとんどだったため、一緒に買い出しへ行く際は「これなに~?」「〇〇はどこ~?」の連続でした。現地で使える翻訳アプリを選手にもダウンロードしてもらっていましたが、初めて目にするドイツ語で使いこなすまでは至らずでした。しかし、特に食事はコンディションを大きく左右するので、私の現地滞在時に自分が好んで食べていたものは選手にも紹介し、自分で買い物できるように促しました。
お医者さんとのコミュニケーション
慣れない環境でのタイトスケジュールや日本とは異なる食生活などが影響し、大会期間中盤から体調不良者が続出し、お医者さんを呼ぶ機会がありました。生憎、夜間での訪問診察を受けてくれる日本人のお医者さんは近くにおらず、現地のお医者さんを呼ぶことになりました。そちらの対応は代表チームが加入した保険の関係もあり、京王観光の添乗員の方にお任せし、私はトレーナーさんと連携を取り、診察がスムーズに進むように準備をしていました。いらっしゃったお医者さんはとても年配の方、付き添いの看護師の方は若めの女性でした。添乗員さんに英語での通訳をお願いしていましたが、お医者さんのもとへ顔を出すと、何とも会話がかみ合っていない状況でした。そのお医者さんは英語ではなくドイツ語でのコミュニケーションを望んでいたのです。そこでたまらず「ドイツ語で説明して頂けますか?」とドイツ語で声をかけるとお医者さんの表情が晴れ、とても喜んだ様子でした。選手の症状、摂取したもの、保険の取り扱いについても説明し、それに対する指示を受け、診察が円滑に進みました。看護師の方から薬の処方に関しての説明を受け、「どうしてドイツ語話せるの?大会の結果はどう?」と私やチームに興味を示してくれたり、「滞在中、何か困っていることある?」と親身に相談に乗ってくれたりもしました。
ここまでドイツ語を用いての活動を紹介してきましたが、それ以外にもSOTGミーティングへの参加や食事の調達など、選手だけで無く大会本部の方々との関わりもありました。また、試合中は他のディビジョンのスタッフと連携がなにより大事だと感じました。お互いの試合の動画撮影をしたり、自分のディビジョンが試合の時はコートサイドで選手と一緒に大きな声で応援したり、ドリンクを作ったり。宿舎に帰ればビデオを編集、プロジェクターで投影してミーティングの準備をしたりと国内活動と変わらない部分も多くありました。半年の国内活動で地道にやってきた仕事内容も、ドイツでは板につき本大会でしか出来ないことに集中出来ました。そういった意味では地道な作業を半年間積み重ねることで、現地で大きな糧になっていたと感じられました。
世界大会を終えて
ここまでの連載で自身の活動について執筆を続けてきました。私が取り組んできた業務をつらつらと書いてきましたが、この方法がすべてのチームに当てはまるとは限りません。そのチームのカラーに合わせてアプローチを変えるのもまた、楽しみの一つです。私のちょっとした行動がチームの成長につながったり、「選手」でなくてもチームに貢献できるということを改めて感じられました。その瞬間を目にできるのもこの立場ならではかもしれません。
この視点で記事を書こうと思った理由は2つあります。
1つめは誰かの背中を押すアクションをしたかった。アルティメットというスポーツにおいて、スタッフの立場は珍しいです。でもきっと日本のどこかには同じような立場で、「チームの戦力になりたい」と思っている人がいます。同じ立場の人が少ないコミュニティだからこそ、私が発信することで誰かが一歩を踏み出す小さなきっかけになれるかもしれない。「選手じゃない関わり方」の一歩を応援できるかもしれない。そんなふうに考えて記事を書いてみようと思いました。前例がないとなかなか踏み出すのに勇気がいるものです。私も実際活動してて何が正しいかわからなくなり不安になる時が今でもあります。それでもどんなペースでも良いから前に進むしかないのです。「チームの一員になりたい」という気持ちは間違いではないし、選手でないことに引け目を感じる必要はありません。もしかしたらこのスポーツにかける思いは誰よりも強いかもしれない。だから自信を持って突き進んでほしいです。そのチームのその人にしかできないサポートがあります。「自分のスタッフとしての関わり方が正しいかわからず答え合わせがしたい」「自分の立場にモヤモヤしている」。もし読者の方の中にこういう思いを抱えている方がいたら、こっそり声をかけてください。一緒に話せば解決するかもしれません。人との結びつきが強いコミュニティだからこそ、敵とか味方とか関係なく一緒に頑張りたいです。
もう一つは、「選手」だけがそのスポーツを楽しむ方法ではないという考えを伝えたかったからです。私は大学1年生の冬頃、アルティメットをプレーするのが大好きでしたし、下手なりに頑張っていました。しかし、持病が悪化して10ヶ月ほどチームを離れたことがあります。それから大好きだったアルティメットと距離を置き、ドイツ語の勉強にシフトチェンジしました。結局アルティメットがない生活に慣れるはことなく、持病が落ち着いた頃にまた戻ってきました。全力でプレーはできないかもしれないけど、かけがえのない友達に出会えたフライングディスクから離れたくない。そういった思いが強かったです。その頃から「もしフィールドに立てなかったとしても、このチームの戦力になりたい」という気持ちが芽生え始めました。この強い思いが今の私を作っていると思います。選手じゃなくてもフライングディスクは楽しめます。「選手をやめる」=競技を離れることではないと思います。だからこそ、色んな人に好きなスポーツで色んな関わり方をしてほしいし、みんなで色んな角度からフライングディスクを盛り上げていきたいです。
Flying Disc Times ライター
獨協大学WAFT! 出身 #8|Technicolorマネージャー・2019WU24ウィメン部門チームスタッフ|ディスクを追っかけたり、追っかける人たちをサポートしたり。フライングディスクと同じくらい、ドイツ・ドイツ語が好き!英語よりドイツ語喋ります。フリスビー投げるより、プレイヤーを支える側に興味あり!あらゆる視点からフライングディスクをお伝えします!