「仲間を見つけて、長く続けてほしい」JFDA女性委員会の想い
JFDAに「女性委員会」があるのを、ご存じでしょうか。
メジャースポーツへの階段を駆け上がっているフライングディスク競技。老若男女問わず、高い競技レベルからレクリエーションまで、日本全国で多くの方々が楽しむようになってきました。特に女性は、ライフステージの変化でスポーツを続けていくのが難しくなるタイミングが多いものです。そこで、今後より多くの女性プレーヤーが長く無理なく楽しんでいけるようにサポートしたいという思いを持ったメンバーが活動しています。
最近の私たちは、月に1回のミーティングが主な活動になっています。今回は、私たちのちょっとした(と言っても2時間超の)おしゃべりをギュギュッとまとめてみました。フライングディスクスポーツに関わるいろんな人たちにまずは私たちのことを知ってもらい、困ったときに思い出してもらえるよう存在になれたらと思っています。
Profile(写真左から)
柴田(鮫島)萌
愛称:もえ
2003年、中京大学Naughty Kidsでアルティメットを始める。2005年より日本代表チームで活動。卒業後は壱、STBAU(BAUHOUSE・豪)、Cafe de Luidaで活動。
大野(大山)千尋
愛称:せんこ
2001年、東京大学Browniesでアルティメットを始める。卒業後はIKU/えびみりん/山葵などに所属。2011年結婚、2013年出産。WFDF SOTG委員、JFDA上級公認ゲームアドバイザー。
川村(福原)有希
愛称:かっぱ、かば
2002年、中部地区の大学でアルティメットチームを立ち上げ。卒業後は壱に所属。個人競技でも活動歴あり。2005年、ミックスチーム河童隊を立ち上げ現在も活動中。中部地区選抜ウィメンチーム監督。
弓田(柴田)恵里香
愛称:しば
2000年、同志社大学マジックでアルティメットを始める。卒業後はボンバーズ、IKU、夢所属に所属。関西、東京、そして2011年からは仙台と拠点を移しながら活動中。JFDA理事、女性委員会委員長、宮城県フライングディスク協会会長。
酒井香朱実
愛称:かすみ
2008年、慶應義塾大学White Hornsでアルティメットを始める。卒業後はふかひれ/vahulに所属。仕事では病院薬剤師として癌治療や緩和ケア等に従事。JFDAアンチドーピング委員。公認スポーツファーマシスト。
日本代表を経験して感じた息苦しさ
しば 今日は、女性委員会のメンバーがどんな道を歩んでアルティメットを続けてきたのか、というテーマで話してみたいと思います。もえは、私たちの中ではアルティメットで日本代表の経験が一番長いね。どんなふうに続けてきたの?
もえ きっかけは、兄が先にスタートしていたことです。兄の背中を追って、大学のチームに入りました。在学中も卒業後も日本代表が選抜されるチームで切磋琢磨してきたので、自分も世界で活躍したいと考えるようになったのは自然な流れでした。日本A代表も何度か経験しましたが、2014年のWUCCが転機になり、日本代表を退きました。
かっぱ きっかけはどんなことだったの?
もえ 何年もかけて、代表として活動することに疲れてしまい、純粋な気持ちが冷めちゃったという感じでした。練習はとても休みづらかったし、周囲と違うことをしていると変な目で見られたし、息苦しくなってしまいました。
かっぱ それで、オーストラリアへ行くことにしたの?アルティメットしたかったの?
もえ 最初は完全に気分転換でした。もともと、ワーキングホリデーをしたかったんです。30歳は、ワーホリができる最後のチャンス。カナダかオーストラリアが候補で、カナダはビザが下りづらかったのでオーストラリアにしました。アルティメットはもともとそんなにやる気はなかったのですが、友人に誘われてプレイするうちに再燃し、最終的にはオーストラリア代表として世界大会に出場しました。
せんこ それで、帰国して再度日本代表として挑戦したんだよね。それはなぜなの?
もえ いろんなものを犠牲にしないと日本代表としてやっていけない、という風潮を変えたかった。オーストラリアでは、出産した女性選手も豪代表として活躍していました。いろんな生き方を許容する文化があって、みんなアルティメットだけにすべて注いでるわけではなくて、いろんなことと両立していました。
しば 日本だと「やるか、辞めるか」しかないという感じだよね。
もえ 覚悟がない、とみなされてしまう風潮がありますよね。
かっぱ オーストラリア、出産後も代表で活躍できるっていいよね。
もえ 本人は家族に助けてもらいながら頑張るし、周りもそれをみんな当たり前だと思ってる。そういうのいいなって、今も思っています。自分も、子供を産んだらフィールドに戻って、前と同じようにプレイできるようチャレンジしたいです。代表をやめるとパタッとアルティメットを辞めてしまうという人に、いろんなやり方で続けられるよ、って知ってもらえたらいいなあって思ってます。
チーム創設、個人戦参戦、アルティメット復帰。
しば 中部つながりで、かばちゃんはどんなふうにディスク競技を始めたの?
かっぱ 大学の頃、スポーツジムでアルバイトしてた時に、「今から始めても日本代表になれるスポーツがあるよ」ってお客さんに教えてもらいました。とにかく、自分が日本代表になれるスポーツをやりたかったんです。自分なりに調べて、県協会を見つけたり、社会人の練習を見に行ったりして、ハマりました。
せんこ 自分の大学には、チームがなかったんだね。
かっぱ そう、だから自分の大学でチームを立ち上げました。最初はたくさんメンバーが集まって、女子チームだけでなく男子チームもできたんです。だけど、日本代表を目指して一人で突っ走ってる自分と、楽しくやりたいメンバーの温度差があり、ついていけない仲間は辞めてしまいました。その後も一人で男女両チームをまとめようとして、特に男子との衝突が絶えなかったなあ。少数でいいから協力者を作っていかないと、チーム作りって難しいんだなって学びました。
せんこ 卒業後は、壱で続けてたよね。
かっぱ 当時はTwitterとかもなく、代表に関する情報が強豪チームにしか出回ってなくて、日本代表になりたかったから壱を選んだ。壱は学生強豪チームの卒業生ばかりで、その中でやって行くにはメンタルの強さが自分には足らないなって感じてた。26歳(2008年)のWUCCで、日本代表を目指すアルティメットからは引退したよ。
しば 個人戦はいつからやってたの?
かっぱ まさにこのタイミングで、個人戦での日本代表に切り替えました。アルティメットはミックス部門のかっぱ隊に絞って、こちらは仲間と楽しむために活動してました。違う競技での両立は、けっこう厳しかったなあ。
しば 今も個人戦やってる?
かっぱ いえ、最近はぜんぜんできてないんです。そしてまたアルティメットに戻ってきた感じ。個人戦の世界大会がなくなった年があり、たまたまステラに誘われて東海オープンに出ました。32歳で、久しぶりにウィメンチームに混ざって学生相手に試合をするとなって、これは足引っ張るぞと覚悟してたんです。でも、意外と私まだ体動くな、まだイケる!って思えて、いい意味で驚きました。で、もう一度アルティメットをやることにしました。ステラというチームを継続させたいという気持ちが強くなって、いろいろ口出していくうちに、のめり込みました。
せんこ 32歳だと、ほとんどの社会人チームでは年齢が上の方だね。
かっぱ そう。同世代は結婚したり、子供がいたりでね。自分はそれがなかったから、若者に混ざってた。そして同世代に遅れをとりながら、今になって、これから子供を持ったりしてもアルティメット続けられるんだろうか、チームに必要とされるだろうか、嫌な顔をされるじゃないか、と思ったりする。お節介な自覚があるから、なおさら心配よ。東のえびみりん、西のバディーズは、立ち上げたメンバーがまだ選手で残ってて、若い人たちがそれを受け入れてて、ほんと素晴らしいと思うんだ。そういう文化をどうやってチームに根付かせて、浸透させればいいのかなあ。
もえ オーストラリアのチームでは、子供がいるか・いないかということには関係なく、全ての選手が活躍することを期待されていました。チーム作りの基本的な考え方として、全選手を使っていろんな組み合わせを作り、試合ではいろんなパターンを試して相手に読まれないようにするという戦略でしたから。
しば 私が所属してる夢所属でも、同じようなコンセプトだな。とにかくバリエーションが多い。各選手が、それぞれ自分の役割はこれだと自覚して参加していたよ。その上で、自分たちの全力を出しきりたいという目標をチームで掲げて走っていければ、うまくいくんじゃないかな。
かっぱ なるほどね。全員が活躍するチームってことだよね。
怪我や出産を経験しながらもアルティメットと関われる
かっぱ せんこはいつからえびみりんに所属してたの?えびみりんって、どんなチーム?
せんこ 途中で鎖骨骨折と出産があったけど、2009年から2016年まで続けてたかな。えびみりんの創設者たちは、ディスクがあろうがなかろうが一緒にいたいっていう、仲間が大好きな人たちでさ。アルティメットをしてなくても、いっしょに時間を過ごしてるだけで楽しいって感じ。そういうチームだから先輩たちは出産で辞めることもなく、私が入った時はみんなで未就学児をゾーンディフェンスしながら全日本本戦に出てたな。今でも毎年クリスマスパーティーは、チーム創設者たちから新人まで集まって、子供もたくさんでワイワイやってるよ。大会には出ない人も、フラッと練習に行ける雰囲気がある。若手がすごく喜んで迎えてくれるの。ほんと嬉しい。
かっぱ いいなあ、そういうの。出産してブランクが空いた時、戻るのって不安じゃなかった?
せんこ 怪我とか、仕事忙しくてしばらく行けないとかでも、同じことだよね。ブランクの間も、チームメイトとは友人として私とつながっててくれた。私と同じ道をすでに歩いてくれた先輩たちもいたから、このチームならできるってことはわかっていて、不安は全然なかったな。えびみりんには、えびてんっていうOGチームもあってね。子供と大人が同じくらいいるチームで、懐かしい人も集まって2年に1回ドリームカップに出てる。これもかなり抱腹絶倒で楽しい。
しば アルティメットを続けていくとき、人って大事だね。同世代、似たような境遇の仲間がいることで、助けられて、楽しくなるよね。
かっぱ 女性には、止むを得ず続けられなくなる時がありますよね。戻って来られるかどうかは、本当に仲間に助けてもらう、理解してもらうというサポートが欠かせませんね。
せんこ 老若男女を問わず、どんな人にも、制約はどうしたって出てくるよね。
地域やチームを超えて楽しむための手段の一つがアルティメット
せんこ しばさんも、仙台から東京の夢所属に通ってたでしょう。よく続けられましたね。
しば 夢所属で2018年WMUCCに挑戦した時の自分は、終わったときに後悔しないように、できることは全部やる、納得するまでやりきるっていうのが目標だったの。これはやりきりたい、という自分との約束が達成できれば楽しくアルティメットができて、そうやってやり遂げたいことが積み重なっていく先に、チームとしての勝利があると考えてる。
せんこ かすみのことは大学生の時から私は知ってるけど、いろんなチームにいたね。
かすみ はい、私は自分の大学に女子チームがなかったので、ピックアップとかでいろんな人とプレイしながらたくさん楽しい経験をしました。いろんな人と話しながら、その人を知ってプレイすることが面白さにつながってました。最近は、vahulでアルティメットしています。vahulは基礎練をするようなチームではなく、集まったら人をどんどん入れ替えながらゲームするんですけど、いろんなバックグラウンドの人がいて、ラインアップしたメンツを見て「なにできる?」「どうやって点取る?」をいつも話しながらプレイします。
しば たのしそう!vahulはどの大学の人が多いの?
かすみ 千葉大、筑波大の卒業生が始めたと聞いたような。新しい人が次々にやってくるチームですが、やっていることは変わらないです。アルティメットだけじゃなく、旅行したり、夏はイベントしたりと、一緒にいろんなことして遊んでます。
もえ その楽しいことの一つがアルティメットってことなんだね。
かすみ そうですね、アルティメットの大会は、東北リーグがメインです。
もえ そういうチーム、もっといっぱいあってもいいのにね。大会も増えてるし。
かっぱ アルティメットがなくてもつながっていられるチームって、いいね。
かすみ 数ヶ月行かないと必ず新しい人がいるんですよ。そういう出会いも楽しくて。
しば 競技としてよりレクリエーションとして楽しんでいるんだね。アルティメットを楽しむ幅が広がってきて、女性が続けやすくなってるよね。
せんこ 私は2008年〜2012年は、アジアやオーストラリアで行楽とアルティメットをくっつけて楽しんでました。友達も増えて、本当に楽しんだよねえ。
かっぱ 強くなってくると、チームってどんどんストイックになっていきがちでしょ。遊びたがらなくなるよね。そうすると、チームを立ち上げたオリジナルメンバーたちは参加しづらくなる。そんなふうに方向性が違ってきたら、チームは分裂、スピンオフするのがいいんじゃないかな。それって自然な流れだし、誰かが苦労する必要もないよね。vahulみたいに純粋に楽しみ続けられるチームを、みんなに知ってもらいたいよね。
しば こんな風にアルティメットをやりたい、っていう思いの近い人同士がつながれるように、私たち女性委員会がお手伝いをしたいね。
かっぱ 女性委員会がコーディネーターになっていきたいよね。いろんな人のニーズに合わせて、繋げるようにありたいです。
しば これからは、競技レベル、年代、楽しみ方にバリエーションを出して紹介していきたいね。指導者にも多様性が出ていくことが望まれるしね。
もえ たしかに。シンガポールは男子のチームを女性コーチが指導していますよ。日本もこうしちゃいられませんね!
JFDA 女性委員会について
JFDA女性委員会は、女性プレーヤーのみなさんが一日でも長くディスクに関われるように、そして、一人でも多く仲間が増えるように活動をしています。定期的に情報発信などもしていきますので、ぜひ「こんな情報がほしい!」「こんなことやってみたい!」など、気軽に委員会やメンバーに直接お声掛けください。