【Back Number vol.3(1981年6月7日発行)】
※本記事は、日本フリスビーディスク協会(JFA=日本フライングディスク協会の前身)が1981年6月7日に発行した「FRISBEE DISC TIMES vol.3」(本サイトの前身である協会発行紙)から一部の記事を引用したものです。紙面のスキャンデータ(記事全文)はこちらからご覧いただけます。(データの品質の都合上、一部文章や写真が途切れている場合があることをご了承くださいませ。)
ディスクに心を詫したら
もう、言葉なんかいらない。
第1回全関西選手権
関西事務局 大神田 茂和
日曜日ごとに集まってきて、ディスクを投げ、皆でメシでも食って、皆んな仲良く、皆んな楽しく、関西ではずっとそうしてフリスビーに親しんできた(んだと思う)。
もちろんフリスビーが好きではじめたわけだけど、やっぱりそこに、楽しい仲間がいたからこそ、毎週々々集まったんだと思う。フリスビーがうまくなくても楽しかった。試合に勝てなくてもうれしかった。でもそれが、馴れ合いになり、ルーズになり、競技としてのフリスビーに取り組む真剣さを失なってしまっていた。その事に気付いた人間がちらほら出始めた頃、関西事務局のスタッフが一新された。未熟なスタッフが、関西の馴れ合いムードにストップをかけようと企画したものの一つが、この全関西選手権であった。
大会は、未だ嘗て体験した事のない奇妙な雰囲気のなかで始まり、私的意見を述べさせてもらうなら、全く無機質に終わってしまった。確かその時点では、ある種の充実感は、あったんだけど、何故かしら嫌な気分が残ったのも確かだった。
さて、大会運営をまかされた者として反省しなければならない点がある。本来、運営を司る者と、プレイヤーは別なものである。しかし現段階では、まだ無理な事は誰もが解っていたはずなのである。にもかかわらず。未熟な局長が、未熟なるが故に、俺達だけでもできるんだというリキミを運営委員に押しつけた結果、いつのまにか運営委員はプレイヤーではなくなっていた。いやプレイヤーが運営委員ではなくなっていたのである。選手一人々々が皆で大会を運営していくという気持ちを失なわせる状況を作り出していたわけだ。
他の地区ではどうだか解らないけれど、関西では、プレイする者が、自らのプレイの為に、必要なコートをはり、互いにジャッジをし、計測をするという気持ちがまだまだ大切だという事、運営委員とは名ばかりで、ただ皆んながコートをはり、プレイし、ジャッジや計測をする手助け役、世話役に過ぎないという事を、つくづく思い知らされてしまった次第である。
大会が終わってはや1ヶ月が過ぎ、もう5月である。ディスクを投げ、追い求める皆の顔は真剣だ。少しでも記録を伸ばす為、少しでもうまくなる為に、日が暮れるまでプレイしている。その姿は、たくましくあり、恐ろしくさえある。フリスビーの競技性を認識しあくまで練習する為に皆、集まってきている。でも、何故かしらーーこの姿を皆に望んでいた張本人である僕が、こんな事を思ってはいけないのであるが、ーー不安である。これで本当に良いのだろうか。もし練習に励む彼ら、彼女らが、単に試合に勝つ事を目標においていたら、他人を負かす事だけを目標においていたら……。確かに、それが競技である以上試合に勝つ事を目標に、練習に励む事は、良い事であろう。しかし、何か違うのである。僕は、高校時代、ラグビーを通して、試合に勝つ為の練習を経験し、その正当性(本当に正しいかどうかは解らないが)を理解したつもりである。試合に負けた時は、くやしかった。でも、ノーサイドの笛が鳴れば、相手はもう、敵ではなかったはずである。自分達のミスを口に出しても、相手の事を、どうこう言ったりはしなかった。むしろ、相手を称えたはずである。この気持ちは今でも全くかわっていない。昨年の秋は、ガッツで愛知学院に負けた。くやしかった。くやしくて涙も流した。しかしいまでは、あの試合に誇りさえ感じる。そうだ、この気持ちを全関西では、体験できなかったのだ。個人戦で、団体戦の気持ちを体験するのは無理なのだろうか。あと数日に迫った西日本選手権では、この疑問に何らかの解答を、得たいものである。