【Back Number vol.19(1988年2月発行)】

※本記事は、日本フリスビーディスク協会(JFA=日本フライングディスク協会の前身)が1988年2月に発行した「FLYING DISC TIMES No.19」(本サイトの前身である協会発行紙)から一部の記事を引用したものです。紙面のスキャンデータ(記事全文)はこちらからご覧いただけます。(データの品質の都合上、一部文章や写真が途切れている場合があることをご了承くださいませ。)

台湾での教訓

小牧チーム主将 木全秋男

台湾から帰って「成績はどうでした」と聞かれたとき、一瞬、とまどった。
そして、あっ、そうか、私たちは台湾へフライングディスクの試合に行ってきたのだ、と気がついた。
これは決して誇張ではない。

そう聞かれるまで、”試合”だったことをすっかり忘れていたことに気がつかなかったのである。
これは何故か。彼我の技の差があまりにも大きく、全く勝負にならなかった。
そのため初めからあきらめて、勝敗を争う気にもなれなかった。
擲遠(ディスタンス)で、私はせいぜい40メートル、小牧チームではTさんが60メートルで最高。

ところが、台湾チームは70や80はざら、女性だってそれくらい楽に出している。
当日、蔡宗哲さんは94メートルの世界新記録(シニアグランドマスターの部)を出した。
歯が立つわけがない。初日からどきもを抜かれ、あとはただ、
あれよ、あれよと見守るばかり。なんとも情けない話である。

しかし台湾の人たちは、私たちに恥かしい思いをさせまいと、細かい気配りをしてくれた。
温い友情が心に伝ってくる。未熟な私たちに、上位入賞など望むべくもなかったが、
表彰式では、70歳以上の参加者に、敢闘賞として、優勝と同じ大きさのカップを、
そして、日本の参加2チームには大きなガラスケースに入ったトロフィーを用意して、
花を持たせてくれたのである。トロフィーには「以盤会友」と刻まれ、台北では、
「友あり、遠方より来る、また楽しからずや」と、中華民国の言葉で刻まれた立派な盾を贈られた。

帰国して、市長にあいさつに行ったときもこれらの品々を土産に、大きな顔ができた。
大会の成績だけだったら、全くみじめで、私たちは市長に会わせる顔もなかったのである。
 台湾の皆様には、最上級の言葉をもつてしても、意をつくすことができないほど、感謝している。
最後に、フライングディスクについては、握り方、フォーム、投げ方など、台湾の先輩諸兄のご指導に、
学ぶところが多かったが、揚阿九さんの次のひと言が印象的であった。

「いち番たいせつなことは、自分に合った投げ方を、自分で見つけることです」

 

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