
【Back Number vol.13(1986年7月発行)】
※本記事は、日本フリスビーディスク協会(JFA=日本フライングディスク協会の前身)が1986年7月に発行した「FRISBEE DISC TIMES No.13」(本サイトの前身である協会発行紙)から一部の記事を引用したものです。紙面のスキャンデータ(記事全文)はこちらからご覧いただけます。(データの品質の都合上、一部文章や写真が途切れている場合があることをご了承くださいませ。)
’86 U.Sオープン・フリスビーディスク・チャンピオンシップ遠征報告
<大島 寛選手ディスタンス部門で日本人初の優勝遂げる!!>
1986年6月24日〜29日、米国カリフォルニア州ラミラダ市で開催された同大会に、昨年のジャパン・オープン・フライングディスク選手権での成績を選考基準に日本代表選手団を結成し、遠征しました。
選手:大島 寛、後藤昭人、小林信也、原科 豊(敬称略、50音順)
団長:斉藤真起夫(JFA本部事務局)
今年のU.Sオープンには、カナダ、スウェーデンからの参加があり、オープン176名、女子35名の計211名で、個人競技7種目が競われました。
6月末のカリフォルニアは、すでに夏の盛り、素晴らしい天気と羨ましい程の競技フィールドに恵まれ、代表選手4名は各々のエントリー種目に全力を投下し競技に臨みました。
表題の通り、大島選手は今年3度目のU.Sオープン挑戦で、ディスタンス部門において優勝という輝かしい成績を納めました。予選ラウンドでは136.13mの記録でトップ通過をし、2次・3次ラウンドを経て、昨年度の同部門覇者サム・フェラン、スコット・ジマーマンなどの強豪をおさえて130.20mの記録での快挙でした。競技終了後、多勢の選手・スタッフからの暖い祝福の拍手、握手、また「ヒロ」コールがおこり、日本人初の優勝に対して場内興奮の坩堝であったことを報告します。
フリースタイルでは、名古屋の後藤、原科両選手がペアーを組み(昨年ジャパン・オープンでは、増田寛三選手を加えてトリオで出場)、予選ラウンドの第2プールで3位という高ポジションで準決勝に進出。しかしながら、決勝進出への壁は厚く、7位に終わりはしましたが、両選手の見事な演技に、他選手からの拍手、喝采が鳴り響き、日本選手の健闘が称えられました。
小林選手は、昨年度ジャパン・オープンでのタイトル種目、ディスク・ゴルフ、D.D.C.、(大島選手とペアー)をはじめ、大島選手同様、全7種目にエントリーしました。7種目中5種目において予選を通過し、特にD.D.C.、では15位の戦績を納めました。
以上、4名の選手は、J.F.A公認の日本代表選手として全員が、米国選手を中心に交流の輪を深め、日本でのディスク・スポーツの状況を海外に知らしめる上で、大いに活躍をしていただきました。
尚、日本から他に、個人エントリーで、早川洋二、柿本千枝子両会員が参加し、柿本選手は米国選手とペアーを組み、D.D.C. 第2位、フリースタイル第4位の好成績を納めましたことを付記します。
今年のU.Sオープン総合チャンピオンは男子スコット・ジマーマン(4連覇)、女子アニー・フレミーでした。
来年の同大会での日本選手の一層の健闘を祈念し、報告を終えます。
(斉藤・記)