フライングディスクの「ここが好き!」 vol.45 杉山延広

オンラインインタビューを利用した、バトン形式の連載企画。

第45回はこの方の、フライングディスクの「ここが好き!」をうかがいました。

(企画:仙田、淺井 / インタビュー:仙田 / 執筆:杉田 / 編集:仙田)

あなたのお名前と、フライングディスク歴を教えてください。

杉山延広です。今年の9月で50歳を迎えます。杉さんという愛称で呼ばれており、社会人になってからアルティメットを始めました。36歳の時から始めたので、フライングディスク歴は14年目になりますね。

 

 

フライングディスクとは、いつ、どこで出会いましたか?

私の住まいがDREAM CUPなどが行われている富士川緑地公園の近くで、普段から緑地公園は自分の生活の中で通っていた場所でした。2003年、犬の散歩中に富士川緑地公園を通ったところ、ちょうどアルティメットの練習をしているのを見かけて、面白そうだなと思って声をかけたんです。するとなんと飛び入り参加をさせてもらって。これが最初の出会いです。

その当時から、静岡では地元のテレビ局の深夜枠でDREAM CUPの放送があって、アルティメット自体はなんとなく見たことがありました。最初の印象は、見た目優雅なスポーツで面白そうだなと思っていたのですが、実際飛び入りで入れてもらった時には、テレビで見た時よりもコートがものすごく広く感じて、自分から声をかけたものの、「かなりしんどいな」と感じたことを覚えています。それでも、混ぜてもらった皆さんが優しくて、初めてでもエンドゾーン内で得点させてもらって、楽しませていただきました。結局あのとき混ぜていただいたのが何のチームだったのか覚えてないんですけども…(笑)そこで、とても自分の血が騒いだというか興奮したことを今でも覚えていて、ここがきっかけですかね。

ただ、その後自分のような素人の社会人が競技に取り組める環境が何もなくて、2003年、当時32歳の私は、アルティメットを本格的にやってみたいけれども、そういった場が身の回りにないことに対してモヤモヤしたままでした。結局、月日が流れてしまい、競技を始めたのが36歳でした。2008年に当時の富士常葉大学のOBの子たちが集まって練習している場所へ見学に行かせてもらっていたんですが、その子たちが当時ミックス部門の日本代表に選ばれて、カナダのバンクーバーで開催される世界大会に出場するということを知りました。これってすごいことだなと思って、私は1週間くらい仕事を休み、現地まで観戦しに行くことを決めました。日本のミックス部門は結局決勝まで残って、ものすごく感動して、このときに、「絶対このスポーツをやりたい」と確信しました。そこから、翌年に富士常葉大学のOBの皆さんの手を借りながら、自分のような素人の社会人にも声をかけて、地元で社会人チーム「富士龍神」を立ち上げました。最初は自分の練習場所を作りたかったというのがチーム立ち上げの1番の理由です。

 

それまで、団体スポーツはあまりやってきたことがなくて、高校時代は空手とか格闘技をやっていました。社会人になってから団体スポーツの面白さにハマって、静岡ではサッカーがさかんだったので、休みの日にサッカーをしたり、会社の人たちとのソフトボールに参加したりもしました。ですが、なんせこういったスポーツは経験者の方が多く、みんなあまり練習をしない状態だったんです。できる人たちはいいんですけど、社会人から始めた自分からしたら練習をしたかったんですよね。アルティメットにハマったのは、アルティメットの人たちは、すごい練習をするなというか、自分達から辛い思いをするなというのが印象的で、でもこういう人たちと一緒にやったら苦しいことも自分も一緒に続けていけるんじゃないかなと思ったのもあったと思います。

 

 

 

今のフライングディスクとの関わり方を教えてください。

今現在所属しているのが、地元の富士龍神という社会人チームでオープンとマスターの部門に所属しています。それと、東京のビッグボンバーズというところで、クラブジュニアの吉田社長達とグランドマスターの部門に参加しています。残念なことに、富士龍神の立ち上げ時に協力していただいた富士常葉大学が、今は大学の事情で富士市からなくなり、それと同時にアルティメットチームもなくなってしまいました。その子たちの代わりに、今は静岡大学のOB・OGの子たちから力を貸してもらって静岡県内の社会人チームの器として活動を行っています。他の地方チームもそうだと思うんですけど、大学を卒業するとアルティメットを続けなかったり、仕事や生活環境の事情で辞めざるをえない人が多くて、本当に地方にもいい選手がたくさんいるんですけど継続できないのがもったいないなと毎年のように思っていました。何とか活躍する場を作ってあげたいなという想いがあり、最初は自分が練習をするために作ったチームではあったんですけど、今では一人でも多くの社会人が続けられるような環境づくりに力を入れています。

それと同時に、地元でのアルティメットの認知・普及のための活動を行っています。地元の商工会や市のスポーツ振興課などに働きかけてアルティメット教室なんかをやらせてもらったり、地元の富士山こどもの国というところのキャンプ場・イベント広場みたいなところで、1ヶ月に1回自分の教室を持たせてもらったりして、大学生の子にも協力してもらいながら、地元の子どもたちとディスクで遊んで楽しんでいます。市で行ったアルティメット教室に来てもらった方の中に、キャンプ場の従業員の方がいらっしゃって、そこで知り合ったことから声をかけていただきました。先にディスクゴルフ協会の方も関係があったみたいで、今はコラボなどもしながらディスクゴルフに触れる機会があって自分の中でも新しい発見があったところです。

 

 

 

フライングディスクの「ここが好き!」。

ひとりでは得点に完結しないような競技性かなという風に感じています。スローワーがうまく投げれても、エンドゾーン内に走りこんでキャッチしてくれる人がいないと点が取れないですし、逆に自分がうまく投げられなくても、スローワーがうまく投げてくれて、自分を生かしてもらっていれば、下手したら1回もディスクを投げなくとも得点することができます。

イベントで子供たちと接していて思うのが、いくらガキ大将のようなうまい子が一人いても、もう1人ディスクを取る人が居なかったら絶対完結できないんですよね。この競技性が子供に教えてても中々面白くて、威張ってた子たちが、得点を取るために最終的に優しくなったり、チームに教えたりしながら得点を取りに行くんです。この「1人で完結しない競技性」がすごく面白いところだなという風に感じています。子供に教えるときには、ガキ大将のような子を1人入れたチームにして、他のまだあまり上手じゃない子たちと協力し合っていかないとうまくいかないんだと自分達で気づかせるようにしたりもします。

また、初めて飛び入りで参加させてもらった時に得点した時の感動、血が騒いだ感じは今でも得点すると同じような気持ちになります。未だにその気持ちを持ち続けられているところがすごいあって、血が騒いで心が躍るというんですかね…。30代に感じていたことが未だ変わりないというのはアルティメットの魅力で、すごいなというかたまらなく好きなんだろうなと思っています。

あとは、地方大会や世界大会などに参加した時には、場所や年をまったく気にしないで友達になれるところが本当にすごいですね。こうやってインタビューしていただいたのも一つの縁だと思います。サッカーとかソフトボールをやっていた時も、すごい奴がいるなと名前では聞いていても直接話すことや友達になることなんてあんまりなかったことなので、すばらしいなと思います。

 

 

 

次にバトンを繋ぐ方は、どんな方ですか?

次にバトンを繋ぐのは、自分と同じく地方の第一線で頑張っている方です。ビッグボンバーズのチームメイトとして一緒に世界大会に参加もしましたが、プライベートではチームメイト以上の親友として仲良くしています。

 

 

 

地方の第一線で活躍されている方の貴重なお話でした!

次のお話も楽しみです!

■↓前回の方の記事はこちら!■

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