函館大学ベアーズ・上智大学FREAKS1年生の練習合宿

北海道のアルティメット普及の歴史から紐解く、年代の垣根を超えたコミュニティの開拓力

あなたが今いる居場所には、どんな歴史がありますか?

FDTライターのあすきです。私は2015年から、北海道フライングディスク協会にてフライングディスク競技の普及活動に携わっています。大学で出会ったディスク競技、社会人になっても札幌近郊の大学の練習に混ぜてもらいながら、無所属なりの公平な立場で各チームの現状や要望をヒアリングし、北海道内の大会・体験会などを開催してきました。

競技人口の多い関東や関西に比べて、競技人口がまだまだ少なく、歴史も浅い北海道のアルティメット。しかしだからこそ、私が競技を始めた当初から、事の始まりを知っている方々がまわりに大勢いてくれました。さまざまな経緯の方からのお話を耳にしてきて、自分のチームのみならず、他チームにも親近感や敬意を持ち、今いる環境により一層の愛着と誇りが湧いたのを憶えています。当たり前にチームがあり、大会がある今に至るまでには、さまざまな想いや行動が積み重なっていることを知ってほしい。

そこで今回は、北海道にアルティメットが根付いた経緯について、当時をよく知る10名の方にお話を伺い“歴史”としてまとめました。あなたがいま関わっている居場所の歴史に想いを重ねながら、北海道アルティメットの歴史を知っていただけたら幸いです。(根付く定義を「公式大会に参加が安定している大学チームの存続」とし、根付くまでの15年間を初期と位置付けています。)

 

【今回、取材や情報提供に応じてくださった方々(敬称略)】
新城 秀二 / 沖縄県フライングディスク協会会長
森本 律子 / 上智大学OG
福本 晋也 / 上智大学OB
池田 望美(旧姓:成田) / 北海道大学モアイOG
三浦 奏 / 北星学園大学OB( 創立者)、元北海道フライングディスク協会会長
三井 由貫子 / 北海道フライングディスク協会会長・山葵所属
及能 健太 / 北翔大学OB
佐藤 貫志 / 北翔大学OB、北海道フライングディスク協会副会長、ブラキストンズ所属
齊藤 健豊 / 北翔大学OB、ブラキストンズ所属
大山 晋平 / 北海道大学PADDY OB(創立者)、信州Loose 所属

北海道アルティメットは函館から始まった

今や札幌を中心に江別、恵庭、北見、室蘭、帯広…各地方で広まりつつありますが、北海道で最初にチームが創立されたのはなんと函館大学。その名も[函館大学ベアーズ](以下、[函大(かんだい)ベアーズ])。創立年は不明ですが、函館大学に赴任した外国人教授がアルティメットプレーヤーだったそうで、日本でもアルティメットがしたいと部員を集めたことが、北海道アルティメットの歴史の始まりでした。

「練習相手がいなくては」と考えた教授は、上智大学アルティメットチームの創立に携わった師岡先生(現 日本フライングディスク協会会長)に連絡を取りました。当時世界大会にも出場していた上智大学FREAKSは男女ともに部員の多く、上級生が世界大会で不在の間、新入生が手持ち無沙汰…という利害の一致で、なんと上智大の新入生が函館まで遠征をするという行事が行われる運びになったのです。

 

函館大学ベアーズ・上智大学FREAKS1年生の練習合宿

函館大学ベアーズ・上智大学FREAKS1年生の練習合宿 集合写真(1998年9月)/創立者の教授(最後列右)/提供:森本 律子さん

 

毎年ではなかったそうですが、男女合わせて15人前後の新入生が往復とも夜行列車で大移動。LCC(格安航空便)もなかった当時、列車で一晩かけて移動のあと泊まりがけで試合をするというのは、金銭的にも体力的にもハードだったのではないでしょうか。当時合宿に参加していた上智大学OGの森本さんに伺うと「大変だったけれど、今でも当時の楽しかった思い出は同期の間で語り草になっている」と嬉しそうに語ってくださいました。函大ベアーズはこの合宿がなくなった2002年頃に途絶えてしまいましたが、この関係が北海道唯一のチーム存続を支えたことは間違いないでしょう。

 

札幌にも学生チーム誕生!社会人ネットワークが繋ぐ縁

1997年、函大ベアーズの次に誕生したのは[北海道大学モアイ](以下[北大モアイ])。札幌初の大学チームだっただけでなく、名前通りモアイ像がディスクを投げているイラストが新歓チラシだったそう。想像するだけでもかなりのインパクト(笑)

このとき学生チームは函館と札幌にひとつずつ。車で約6時間の距離があります。日々の練習は、この頃から河川敷に集まっていた社会人と合同で行っていたとのこと。SNSのなかった時代、HPなどで集められる情報は限られていたため、逆に1箇所に集まりやすかったのかもしれません。

創立から数年後、かつて函大との練習合宿に参加した上智大学FREAKS OBの方が、転勤で札幌のアルティメットコミュニティに。ここで北大モアイの存在を知り、函大ベアーズと連絡を取って北大モアイと関係を繋ぎます。この出会いがきっかけで、ついに合同チームによる学生選手権出場、北海道アルティメットの公式な全国大会初参戦を遂げました。

 

函館大学べアーズ・北海道大学モアイの合同チーム(2000年)

函館大学べアーズ・北海道大学モアイの合同チーム(2000年)『第11回全日本学生アルティメット選手権大会』 提供:池田 望美さん(中央)

 

蛇足ですが、女性勢力が強いと評されることもある北海道のディスク界、この頃からすでにその傾向が見えるエピソードがあります。北大モアイ創部2年目の新歓時、試合に出るため男性プレーヤーを募集していた創立メンバーは、かっこよさと珍しさに惹かれて入部しようとした女子新入生の入部を断ろうとしたそうです。けれども負けない女性陣。無理やり押し切って練習に参加したところ、大歓迎してくれたのは社会人チームのおじさま方……いつの時代も同じような構図があるものですね(笑)。おかげで当時の女子新入生は入部することができたのだそう。このとき入部した池田さんは、その後の北海道ディスク界の発展初期を支えています。

そうこうしてプレーヤー数が増え、合同チームで東北リーグに出場、さらには初の北海道大会が開催されました(開催年不明)。北海道大会の出場チームは全4チーム。函大ベアーズ、北大モアイ、社会人チーム[七福神]、そして東北大学からの参加も記録に残っています。

静かに芽吹いた新時代の火付け役

函大、北大の活動が途絶えてしまったあと、今日の競技人口拡大の火付け役になった方たちがいました。その筆頭が、現北海道フライングディスク協会副会長の佐藤さんです。2006年、江別市にある北翔大学にて新入生向けに開催された新歓レクで、なんとアルティメットが行われ、見事にハマったのが他でもない佐藤さん。なぜ北翔大学の新歓レクでアルティメットが行われたかというと、当時日本大学Humming Birdsでプレーしていた坂本さんが、北翔大学のレク実行委員をしていた同級生に案を持ち掛けたのだといいます。この同級生は、アルティメットのルールも知らずに実行に移したとか。坂本さんとその同級生の実行力はさすが!人生、ノリが大事ですね(笑)

さて、すっかりアルティメットの虜になってしまった佐藤さんが友人と二人で始めたスロー練習も、いつしか友人が友人を呼び、部活にまで発展しました。そして2007年、体育館で対社会人と計30人程の練習試合ができるまでの集団になったのです。この部活が、のちに日本代表選手を2名輩出することになる[北翔大学Snow Bears]。2008年、念願の単独チームでの学生選手権出場を果たしています。

 

北翔大学 初の学生選手権大会出場(2008年)

北翔大学 初の学生選手権大会出場(2008年)/ 提供:及能 健太さん(前列左)/ 及能さんと佐藤 貫志さん(前列右)、斎藤 健豊さん(後列左)の3人は同期。

 

当時、メンバー拡大に一役買った友人のひとり及能さんは、mixi(当時大流行していたSNS)も駆使して社会人コミュニティや興味を持ちそうな人たちに声をかけていきました。この行動が、その後の北海道アルティメット界を動かすキーマンたちを一挙に繋げました。

 

SNSで繋がる、広がる。新時代の札幌コミュニティ

mixiで繋がったキーマンの一人は、北海道アルティメット界のパイオニアとも言うべき人。転勤族プレーヤーが集う[札幌フライングディスククラブ]創立者です。聞くところによると、この方は2007年頃に何かのきっかけでディスクにハマり、すぐさま自らが務める会社で仲間を集めてクラブを作り、mixiでメンバーを募るなど精力的な広報活動を開始。ここで及能さんと繋がったことで北翔大学と社会人との合同練習が始まります。全員ルールもまともに知らない中で、株式会社クラブジュニアご協力によるアルティメットクリニックを開くなど、とにかく行動力に溢れていたそうです。彼が競技を始めた一年後には、いまや全国的な知名度を誇る人気地方大会『どさんこカップ』の初開催に至ったほど。今の北海道フライングディスク協会の活動の原型とも言えます。

「2010年のドリームカップに出よう!」という目標のもと練習を開始したこのクラブは、2010年3月、『シュマリ』というチームで目標通りドリームカップ初参加を果たします。メンバーは社会人や学生に初心者も混じった渾身の寄せ集めチーム。近年は全国にチームがあることが当たり前になりましたが、当時はチームのない都道府県もあった時代。開会式で「北海道から初参加してくれた」と全出場チームの面前に立ち、拍手を浴びた初々しいエピソードも残っています。一試合目から強豪との対戦続きで、良くも悪くもボッコボコにやられたそうですが、「それでもなんとか最後に取れた一点の喜びが大きく、もっと上手くなりたいと思えた。」と、当時の参加者である及能さんは振り返ります。このクラブには日体大OBや早稲田OB、静岡大OBなど経験豊富なプレーヤーも集っていたそうで、転勤などでメンバーの出入りはあれど、合同で練習していた学生チームにとっては、経験豊富なプレーヤーとともにプレーできたのは最高の環境だったことでしょう。

合同練習から、各々のチーム創立へ

今日まで続くチーム[北海道大学PADDY]と[北星学園大学arch]を創ったキーマンがもう二人。[北海道大学PADDY]は、創立者の一人である大山さんが大学入学初期に北翔大学と連絡を取り、北翔大学と社会人の合同練習に参加したのが始まりでした。愛犬パディにディスクを投げて遊んでいた経験が参加のきっかけになったそうです。

また、[北星学園大学arch]創立者であり北海道フライングディスク協会元会長である三浦さんも「mixiで北翔大学の練習に誘われて面白そうだから行ったら、参加一発目からアルティメットクリニックだった(笑)」という衝撃デビューを果たしています。北翔大学が発端となり、合同練習が繋いだこの2人の創立者。これらの出会いがなければ、今日の北海道アルティメット界はなかったかもしれません。

「学生と社会人との垣根がない」それが北海道の強み

学生と社会人が繋がり支えあうことで続いてきた北海道の歴史。どんなチームも人数不足などの悩みはありますが、就職や転勤などで出入りの多い北海道で「プレーヤーを続ける」選択肢が持てるのは、合同練習が今も変わらず根付いているからではないかと感じます。「冬季オフ期間が長い」「海に隔てられ、公式試合に出るのが大変」など、関東や関西に比べてディスク競技を続けることは容易ではありません。しかし、この不利な環境が「学生と社会人が共存する文化」を育みました。次はどんなパイオニアが現れるのか、楽しみでなりません。

 

北海道アルティメット初期15年表 / 1997〜2011年

取材内容をもとに奥村作成

 

インタビューに快く応じてくださった皆さま、写真提供含めご協力誠にありがとうございました!
※記事内の記録や所属等は全て2018年12月19日現在のものです。