「いまにつながっていることが大事なこと」FDT元編集人 佐藤修さん

現在は「ディスクで繋がるWEBマガジン」として形を変えたFlying Disc Times。以前は紙面で発行され、会員宛に会報誌として郵送されていました。1990年頃から広報企画委員会としてFlying Disc Timesに関わり始め、1997年~2007年の11年間、編集人という肩書きで携わっていた佐藤修さんに当時の活動を語って頂きました。

Profile

佐藤 修(さとう おさむ)
出身:明治大学
ディスク歴:ガッツ

佐藤修さん(右)と齋藤晴義さん(左)。お二人は同じ明治大学のOB。

Interview

ーFlying Disc Timesライターの小峯です。本日はよろしくお願いします。

マジで取材か・・・。いや、良いですよ。ただね私の仕事柄、録音が回るとすごい慎重になるし、言ってはいけないことは本当に言わなくなるんですよ(笑)。よろしく御願いします。

 

ーそうなんですね(笑)。インタビュアーとして精一杯お話を引き出せるように頑張りますね!それでは最初に、今までのディスクとの関わり方を教えてください。

学生時代、私が所属していた明治大学はアルティメットの試合に出てなかったんじゃないかな。
(同席していた同校OB齊藤晴義さん:アルティメットの試合も出てたよ~~~)
そうか、僕はアルティメットが得意じゃなかったのでほぼガッツがメインでした。オーバーオールも出たことないし、自分がどれくらいディスタンスが飛ばせるかもわかってないです。

 

ーガッツをメインにプレーされていたのはなぜですか?

単純だからだと思いますよ。アルティメットは互いに7人ずつ集めないと試合にならないじゃないですか。ガッツは5人集まればできるので、自分たちの学年だけでも楽しんでました。手軽だし、場所もアルティメットほど取らないしね。

 

ーありがとうございます。では、Flying Disc Timesに関わることになったのはどういったきっかけですか?

大学卒業と同時に競技から離れ、仕事に一生懸命になっていましたが、1992年に宇都宮で開催された世界アルティメット&ガッツ選手権大会の誘致が正式に決まった1990年頃に、大学の先輩が協会の仕事をやっている関係で呼び寄せられました。当時私はフリーの記者として働いていたので「マスコミで働いているんだし、パブリシティ(広報活動)できるでしょ。是非やってほしい。」と。そこで声をかけてもらったのがきっかけです。対外的にフライングディスク協会をアピールしていくことはもちろん、競技者向けとしても機能する会報誌の作成を依頼され、広報企画委員会としての活動を始めました。

 

ーそうなんですね。もう少し当時の活動を具体的に教えていただけますか?

スポーツ紙や新聞社へのパブリシティ(広報活動)を広報企画委員会で行っており、写真撮影や記事作成など、自分たちでできることは自分たちでやっていました。ただ、自分は競技から離れていて大会に参加することはなかったので、各競技委員会の人に原稿を頼み、写真、表彰式、MVP、名前、試合結果、点数など必要な事項を書いて提出していただく仕組みでした。そのほかに海外情報、学生連盟(東日本・関西・中部)、理事会、各県協会、各委員会などへもお知らせしたいことがあったらどんどん原稿を送ってくださいと伝えていました。

 

ー活動で心がけていたことは何ですか?

第1に「記事の読みやすさ」を心がけていました。ただし、フリーなスタイルで思いの丈を書いてくださる人が多いので、もとの趣旨をなるべく変えないように、且つ書いた人が気を悪くされないように、適切な編集をすることを特に意識していました。例えばアルティメットで留学した人の話を聞いて対談風にしたこともありましたね。対談は2人集めないとできないけど、あたかもここに2人いるかのようにね。ほら、「ここに2人は居合わせて」とはどこにも書いていないでしょ?(笑)

第2に心がけていたのは、「色んな人の手に触れてもらえるようにすること」です。対外的にフライングディスク協会をアピールしていかないと会員も集まらないし、集まった会員も誇りを持てないでしょう。だからこのFlying Disc Timesという会報誌は1つのアピールツールとしていました。表紙をモノクロからカラーに切り替えたら1回くらい目を通してくれるんじゃないかとか、どうやったらフライングディスクにみなさんが目をつけてくれるのかを試行錯誤していました。

 

ーコミュニティ内部への配慮と、外部に対する工夫との両面を意識されていたんですね。では、Flying Disc Timesに関わってよかったと思うことは何ですか?

踏み込んじゃったね~(笑)。良かったことですか・・・この質問は困りましたね・・・。(笑)僕自身が「フライングディスクをより知ることができたこと」じゃないですか。実際、全日本選手権の決勝なんて見たことなかったし、ガッツの試合で世界一の人達のプレーを見ても、「世界一の人達なんだから当たり前じゃないの?」という感覚でした。当時は競技復帰をしていなかったので、その「レベルのすごさ」に興味が無かったんだと思います。しかしこの仕事を通してプレーを見たり聞いたりすることができて、色んな想いを持っている人達はこうやって世界で戦っているんだと知りました。遊びでフライングディスクをやってた私みたいな人が改めて関わってみると、学生からずっとやってる人が辞めずに続けること自体も大変だし、同じチームで少しの時間でも合わせて練習しているすごさを素直に感じられるようにりましたね。

 

ーありがとうございます。そんなFlying Disc Timesに、何か転換期はありましたか?

協会の台所事情もありますが、例えばA4サイズのカラー印刷をしていたので、ものも作るのにも送るのにもお金がかかります。なので三つ折りにして封筒のサイズを小さくすることで送料を下げてみたり、三つ折りにする関係で表紙を厚紙から折りやすい素材に変えたりと、この時期から尻すぼみになっていたのかなと思いますね。会報誌も毎回、その年の全日本選手権の結果ばかりで「もうそろそろ」という雰囲気が協会でも会員の中でもあったと思いますよ。ある程度Flying Disc Timesで活動してきても効果が上がらなくなってきたので、広報企画委員会を閉めるという話になりました。私自身は、誌面での発行をやめてデータで公開するようになったタイミングで、この仕事から足を洗って退きました。

取材時にお持ちいただいた過去の紙面版 Flying Disc Times

 

ー本日はアーカイブ資料としてご自宅にあった資料を沢山お持ちいただきました。これらを見て今思うことはありますか?

うーんとね、今こうやって家から持ってきた資料が並んでるじゃないですか。部屋の隅でほこりかぶってたのを今朝引っ張り出してきて、どの資料を持って行くか行かないかの作業をしたんですが、30年前に同じ作業をツクダオリジナルの倉庫やクラブジュニアでしていたことをふと思い出しました。担当の人に「そこらへんにあるよ~。その裏の方だと思う。必要だと思うもの持って行って良いから!」といわれ、そこからこのFlying Disc Timesの編集人としての仕事が始まったんだなと。大会の戦績や参加者の人数などデータがまとまった資料がなかったので、散らばっている情報を集めるのが最初の仕事でした。

 

ー活動中に辞めたいと思ったことはありましたか?

僕は1回も・・・嘘です。何回も辞めようと思いましたけど、次の人に譲るってことは次の人にこの苦労をさせるってことですからね。当時は文章ファイルをフロッピーディスクに入れて、郵送でやりとりしていた時代でした。ただ、DOS(Disk Operating System)形式という統一規格ではなく、メーカー毎の規格で送ってこられて、自分のパソコンで開けなかったり。修正をお願いしても何日もかかったり。それで製作スケジュールが遅れて、協会と印刷会社の板挟みになったり。ストレスはありました(笑)。 だから後輩をだまして、同じ苦労をさせるっていうのはできないし、そこまでして嫌われる勇気も無かったです。他の人がやらなくていいよって言うまではやり続けようと思ってました。

 

ーFlying Disc Timesの活動で印象に残っている記事や出来事はありますか?

いやあ~・・・。これはちょっと本当の模範解答はあるんだけど嘘になっちゃうから(笑)。基本的にお金を使って作った会報誌ではあるんですけど、それも限界もあるんですよね。その中でも記憶にあるのは…、1人で雪の中、秋田まで取材に行ったことです。秋田の中学生が担任の先生とフライングディスクを自動で飛ばす機械を作って、その実験結果を原稿用紙で50枚くらいを協会宛に送ってきてくれて、その話を聴きに行きました。なぜそれをやったのかと理由を聞いてみたら「ディスクが飛ぶのが不思議だった。回転する方向は2つしかないのに角度によって軌道が変わる。何度やっても変わらないのか?っていうのを証明したかった。」と答えが返ってきました。そんな話を取材していたら、何よりもそういうことを実験したっていう生徒が愛おしくなっちゃってね~。それを研究テーマとして選び、しかも先生はそれを大真面目に受け止めて、協会に結果を送ってくれた。「その気持ちに協会が答えたということが大切なこと。だから行かせてくれ。」と言って、日帰りでおいしいものも食べず行って帰ってきました。それが多分、僕のなかでは純粋にこのFlying Disc Timesに関わって、1番心に残っているというか、忘れないことだし、Flying Disc Timesの編集をやっていて少し良いことができたんじゃないかなって思っていることです。「フライングディスクタイムズ vol.40(平成9年4月号)2〜5P」

 

ー今思い返して、やりたかったけど出来なかった企画や、今ならこんな企画をやってみたい!というものはありますか?

Flying Disc Timesの建前としては協会員のみなさんにニーズのある情報を届けたいと言わざるを得なかったのですが、個人的にはコアでニッチな企画ほどやりたかったです。皆さんが興味あるかは分かりませんが、トップ選手を解剖していく企画なんてどうでしょうか。ガッツのスーパー選手のキャッチの違いや、得意な守備範囲やディスクの角度、キャッチの極意などを熱く語ってもらいたいね~(笑)。あとは、メジャーリーグがピッチャーの投げた球の回転数を計測してるみたいに、ディスクの回転数の比較なども調査してみたいな~。

 

ー面白そうですね!ありがとうございます。では最後に、今後のFlying Disc Timesに求めるモノ、持っていてほしい想いはありますか?

このFlying Disc Timesが続くことが1番です。無くならない、なくさないっていうことが一番ありがたいですね。何でこういうものがあるかっていうと、僕が引き受けた時点で過去の分かり得る情報はできるだけ残しておく。僕がそれをしておくことで、次の人も同じようにしてくれるだろうという期待がありました。仮に多少の休刊期間があったとしても、 形態が変わったとしても、過去からいまにつながっているということが大切だと思います。僕がこの仕事に関わらなくなっても、次の人が同じようにそうしてくれるんだろうと期待していました。なのでこの先もFlying Disc Timesは、協会がある限り続いてくれたら嬉しいです。

事務所前で一緒に記念撮影

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